Beast|解説②
Beast|巡音ルカ
本文
二人で暮らすうちに僕は彼女は人間なんだと再認識した。
僕が変わらず過ごしているのに対し、彼女はシワや声の変化など目に見えて老いてきた。
森の動物達が死んでしまうことは数え切れないほど見てきたけれど、僕の成長と共にずっと生きていた蛇や、両親に捨てられた僕のように『呪われた存在は死ぬことができない』という仮説は僕の中で確かなものになってきた。
そんなこと思う日々、僕はぼんやりと彼女との別れを想像してしまい、何度か泣くことがあった。その度に彼女は「泣き虫さんね」と笑って見せる。
僕がどれほど魔法を使えても、彼女を不老不死にすることなど叶わない。
世の中の理に反するような内容は扱えない。もちろん、既に試して確認済みだ。
「また難しいことを考えているんでしょう、あなた」
横になった彼女は細めた目で僕を見た。
「……君は僕を置いていくんだ」
「ええ、そうね。ごめんなさい。きっとあなたと最後まではいられないわ」
「ごめん、意地悪な言い方をした」
「いいのよ、本当のことだから。ねえ、歌って、あなたが歌う子守唄が好きなの」
静かに目を閉じた彼女の手を取って、少しばかりの涙と共に歌った。
「―てぃらる、たりら」
「ふふ、いつまでも歌詞が聞き取れないのね」
「君が鼻歌しか歌わないから、これしか知らないんだよ」
彼女が眠るまで、同じフレーズを何度も辿った。
枕元で流れる砂時計と僕の歌が部屋中にこだまする。
ある日彼女は僕に耳打ちした。
「ねえ、あなたに隠していたことがあるの。聞いてくれる?」
「うん」
「あなたの呪いを解く方法、本当は知っているのよ」
「え」
僕も知らないのに、彼女はいたずらが成功した子どものように無邪気に笑ってみせた。
「ほら、王子様から逃げた夜があったでしょう? あのとき、蛇のおじい様に教えていただいたの。生き物にはそれぞれ『運命の人』がこの世にいるんですって。その人とのキスで呪いが解けて本当の姿に戻るらしいの」
初めて聞いた。
僕が黙っていると、彼女は続けた。
「蛇のおじい様の体験談でね、あの姿は呪いが解けたあとのもので、運命の人であった彼女に怖がられて殺されそうになったそうよ。だからきっと、あなたがもしも違う姿になって私に嫌われたらと思って言えなかったみたい。ずっと育ててきたから傷つけたくなかったのだと思うわ。優しいお方ね」
僕はきっと酷い顔をしていたのだろう。彼女はやせ細った腕を伸ばして、俯いている僕を撫でた。
「私があなたを嫌いになる筈がないから、今から本当の運命の人を探しに行ってもいいのよ。もう私、ただの老人だもの」
その言葉に、ただ首を振って泣くことしかできなかった。
野獣と呼ばれて忌み嫌われ育ってきて、彼女と出会って初めて愛を知った。
生涯に一人だけの運命の人なんて僕には必要ない。
名前も顔も知らない相手よりも、僕を恐れなかった君の気高さに惹かれたんだ。
これまでも、これからだってたった一人の人間しか愛してはいけないのだとしたら、僕には君しかいないんだよ、シンデレラ!
いつものように彼女の側で歌っていたとき、彼女は「いつもありがとう。私ね、あなたが大好きなのよ。本当に、本当に大好きなの」と僕の手を握り返した。
続けて「……でもね、あなたの呪いは私じゃ駄目だったみたい。ごめんなさい。でもね、でもね、忘れないでほしい。私、間違いなく幸せだったわ。例えそれが運命じゃなかったとしても」と初めて彼女の涙を見た。
ほろりと流れるそれは花びらのように美しく、僕は言葉に詰まってじっと彼女を見つめた。
「……不思議。今、とても心地良いわ。なんだか眠たいの。ねえ、あなたの子守唄が聞きたい」
「―うん、うん。僕も君が大好きだ。獣のままでもいいって言ってくれて、泣いている僕を可愛いと言ってくれて、愛してくれる君が大好きだよ」
彼女は嬉しそうに目を閉じる。いつもとは違う空気に、僕も覚悟が決まった。
きっと彼女はこれから柔らかな雲の上を通って、澄んだあの空の向こうでいつものように踊るのだろう。なんて美しい光景だ。
きっと僕をずっと待ってくれる。
そんな気がして、出会ったときのローブを魔法で出して被った。
彼女がどこでも僕を見つけられるように。
てぃらる、たりら……
僕の歌がまた、今日も部屋にこだまする。